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文化・歴史・社会を読み解く資料室 |2019-02-20 16:54:58

【見世物】可坊「「べらぼう」のルーツとなった見世物芸人」

可坊(べらぼう)は江戸時代前期の見世物芸人。寛文十二年(1672年)から江戸、大坂、京都の三都の観場で活動していた。 全身がまっ黒で、頭はピンヘッドのように鋭くとがっていたという。目は赤く丸く、あご猿のような顔をしており、いってみれば「馬鹿の象徴」ともいうべき存在だったという。今日における、程度がひどいことやばかげていることを意味する「べらぼう」「べらんめえ」のルーツとなった。

可坊/ Berabou

「べらぼう」のルーツとなった見世物芸人

出典:旧サイトの掲載画像

概要

可坊(べらぼう)は江戸時代前期の見世物芸人。寛文十二年(1672年)から江戸、大坂、京都の三都の観場で活動していた。

全身がまっ黒で、頭はピンヘッドのように鋭くとがっていたという。目は赤く丸く、あご猿のような顔をしており、いってみれば「馬鹿の象徴」ともいうべき存在だったという。今日における、程度がひどいことやばかげていることを意味する「べらぼう」「べらんめえ」のルーツとなった。

当時の可坊の人気はすさまじく、間抜けた調子で、節に「塵で髪結ふて刃の折れるまで、いでや山へ芝刈りに。」との小唄を歌い、その徹底したばかっぷりで、どこの場所で人気を博した。

可坊の見世物が流行した影響で、当時の大阪では「はやり物は何々ぞ、弘徽殿十二段、あふあふ新田鑓かんな、べらぼうべらぼう。」という流行歌となって、町中で歌われた。

江戸では可坊の流行に乗じて、白山彦左衛門が麩の焼きに黒ごまをかけた「べらぼう焼き」という和菓子を製造して流行になった。可坊の身体が真っ黒だったので黒ごまをかけたのだという。

また、当時可坊が流行っているにもかかわらず、世事に疎くて何も知らないものを「べら坊を覚え」と嘲り、そこから現代の「べらんめえ」へと発展したという。

■参考文献

・「見世物研究」朝倉無声

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