人体展示の歴史と倫理
展示をめぐる歴史と論点

概要
人体標本を展示する企画は、同じ名称や技術でひとまとめにはできない。1995年に国立科学博物館で開かれた「人体の世界」展、その後日本を巡回した「人体の不思議展」、ドイツで始まったBody Worldsは、それぞれ主催者・開催時期・展示の枠組みが異なる。本記事では確認できる記録と主催者の説明、研究者による批判を分けて紹介する。標本の身元や同意について確認できない噂を事実として扱わず、展示史と倫理の論点を整理したい。
プラスティネーション技術
特徴
プラスティネーションは、組織内の水分や脂質をアセトンなどで置換し、シリコーン樹脂などを浸透・硬化させて標本を保存する技術である。グンター・フォン・ハーゲンスが1970年代に開発を進めた。保存標本は腐敗しにくく、内部構造を立体的に示せる一方、人体を「展示物」として見せる演出そのものが、教育と娯楽の境界を問い直す。技術の説明と、特定の展示標本の出所・同意をめぐる問題は分けて考えなければならない。
標本制作の概要
プラスティネーション標本の制作は、組織を固定し、水分・脂質を溶剤に置換したうえで、樹脂を浸透させて硬化する工程からなる。展示ごとに採用する樹脂や細部の工程は異なり、公開資料から確認できない条件を一律に断定することはできない。ここでは技術の概略にとどめ、制作技術と標本の同意・来歴を別の問題として扱う。
歴史
1995年「人体の世界」展
1995年、日本解剖学会の創立100周年にあたり、国立科学博物館で「人体の世界」展が開催された。標本の展示は解剖学を一般に紹介する試みとして注目を集め、その後の人体標本展示を考えるうえで重要な先行例となった。ただし、この展覧会と後年の巡回展「人体の不思議展」は、主催者と開催の枠組みが異なる。国立科学博物館の記録:https://www.kahaku.go.jp/special/past/human/human.html
展示の運営と記録
展示の企画・主催・後援・標本提供は、それぞれ別の役割である。旧記事に記した関係者の経歴や団体間の関係には、出典の確認が不十分な記述が含まれていたため、ここでは断定を取り下げる。個人の意図や不正を推測するのではなく、当時の図録、主催者の告知、会場記録、報道、研究論文を突き合わせて運営の実態を検証する必要がある。
旧「人体の不思議展」
「人体の不思議展」は、1990年代後半から2010年代初頭にかけて日本各地で開催された人体標本の巡回展示として知られる。開催時期によって標本の提供元や運営の枠組みが異なるとする記録があるため、すべてをひとつの展示・ひとつの主催者として説明することは避けたい。開催回数や来場者数も、主催者発表と独立資料を区別して記載する。
旧記事は開催回数、来場者数、標本の移動や契約について具体的な数値と経緯を断定していたが、参照先の多くは二次報道や論争当事者の説明であり、一次資料との照合ができていない。したがって、これらの数値・契約内容は現時点では確定情報として掲載しない。開催地や会期は、図録、新聞縮刷版、主催者資料など個別に確認できた記録に基づいて追記する。
新「人体の不思議展」
2002年3月に開始した『新・人体の不思議展』は中国製の標本である。標本の入手先は、当時江蘇省教育委員会の管轄下にあった南京蘇芸生物保存実験工場である。

同工場は、1996年3月に設立され、その年に「プラストミック標本」制作で中国の発明特許を取得し、国家重点新産品に指定されたという。なお、この工場は、2002年に民営化され、江蘇省教育委員会の管轄を離れている。
この中国のプラストミック標本技術は、ハーゲンスのプラスティネーション技術の特許権を侵害しているとの批判があり、新「人体の不思議展」の主催者はプラストミックという用語を使用している。
新「人体の不思議展」は、日本よりもむしろ中国国内のメディアで取り上げられ問題になった。南京公安部門が南京蘇芸生物保存事件工場に事情聴取したところ、2001年6月末に同工場は、日本アナトミー研究所と総額3384万人民元(約5000万円)の販売契約を締結し、さまざまな部位の人体プラストミック標本162点を販売したという。
標本の完成後、同工場は江蘇省舜天国際集団機械進出口股份有限公司を通じて、2001年9月30日と12月30日、2002年1月30日の3回にわたって大阪に輸出している。
同工場から標本を購入することによって、新「人体の不思議展」は再開した。「新・人体の不思議展」と称したプラストミック標本展示が、2002年3月、大阪を皮切りに全国を巡回をはじめる(後に「新」の字はなくなる)。
主催者の多くは、旧「人体の不思議展」と変わらなかったが、異なったのは、ハイデルベルク大学附属プラスティネーション研究所の名前が消え、その代わりに日本アナトミー研究所が出てきたことである。
また、新「人体の不思議展」の初期は、協力機関として、南京大学、江蘇省教育委員会、南京蘇芸生物保存実験工場も名前を連ねているが、中国国内で問題になったこともあり、南京大学と江蘇教育委員会の名称は図録の奥付から消されている。
「人体の不思議展」の人体標本は当初、協力施設として南京大学が表示されており、報道でも南京大学の研究施設から貸与などと報じられていたが、南京大学は名義貸与や協力を否定して抗議を行っている。

中国側の主張が事実ならば、主催者側は、中国の教育委員会や大学との学術交流といったありもしない関係を捏造した可能性がある。
新「人体の不思議展」は2011年1月の京都展まで、計36回開催され、主催者発表で650万人以上が訪れた。「人体の世界」展から新旧の「人体の不思議展」まで、1995年から2011年の16年間にわたって開催された展示は、計45回、動員数は約907万以上と推計されている。
「人体の不思議展」の問題点
医学研究・教育の利用に対する疑問
人体標本展示をめぐる倫理上の問いは、標本の由来、本人が何に同意したか、展示の目的と演出、遺族や社会への配慮に分けて考えられる。末永恵子の論文は「人体の不思議展」をめぐる倫理的問題を検討している。これは批判的な研究者の論考として位置づけ、展示主催者の説明や、当時の記録と照らして読む。論文:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jabedit/19/1/19_KJ00006490169/_article/-char/ja
標本の由来の不透明さ
「人体の世界」展と旧・新「人体の不思議展」の主催者による倫理に関する唯一の主張が、「生前の意志による献体」であった。しかし、いずれの展示にしても「献体」の根拠が揺らいでいる。本人の同意なしに展示品となっている可能性が高い。
2006年に、疑問をもつ会が献体同意書の書式の開示を主催者に対して求めたが、「どのような形にせよ開示を差し控えさせていただきます」と拒否された。
2002年の大阪展では献体同意書の書式が展示されていたが、その内容を見た土屋貴志大阪市立大学教授(当時)は、「この同意書は医学教育や研究、解剖を目的とした通常の献体用です。〈無条件で医学・科学事業に提供する〉とありますが、〈無条件〉の中に一般公開まで含まれているとは思えません。説明なくそこまでの権限移譲を求めるのは悪しき包括同意ですし、同意が得られないなら一般公開すべきではない」と述べている。
主催者は、遺体は中国の南京大学の研究施設から貸与されたもので、生前に献体登録を受けていると述べていた。しかし、当の南京大学が「人体の不思議展」とは無関係であり抗議していたのは上で説明した通りである。主催者は南京大学に対しての弁明や謝罪などの一切せず、図録にシールで伏せられているだけである。
江蘇省教育委員会と南京大学は「人体の不思議展」との関わりを完全に否定している。さらに、江蘇省教育庁管轄の東南大学も、南京蘇芸生物保存実験工場への死体の受け渡しは一切ないと否定している。

工場と関係があったことを唯一認めたのが、南京医科大学だった。同大学は、1998年から2000年にかけて、江蘇省教育庁の補助金を得て、大学で制作した人体標本を工場に送り、プラストミック標本に加工してもらって買い戻した。その際、工場へ送った標本のすべてが戻っていたわけではなく、返却されなかったものがあったという。工場に送った標本や解剖後死体はすべて献体者のものではないと述べている。
このことから「人体の不思議展」の標本は、同大学から工場に送られたもので献体者ではない可能性があるという。献体者ではないのだから、行き倒れや死刑囚ということになる。したがって、主催者のいう「献体」の根拠は完全に否定される。
しかし、南京医科大学の名称は奥付にはない。おそらく、工場が盗用して売買したものだからだろうが、出所を南京大学と偽った可能性がある。
展示と商業性をめぐる論点
入場料や関連商品の販売があったことだけで、標本が売買された、あるいは違法な利益供与があったとは結論できない。問うべきなのは、標本そのものの所有・移転と、展示興行の収益・費用の流れを区別したうえで、本人の同意が商業展示を含んでいたか、主催者が来場者にどう説明していたかである。法的評価は個別の事実と適用法令に基づくため、旧記事の断定的な違法性評価は削除した。
Body Worldsとの比較
標本の由来をめぐる未確認情報
日本だけでなく海外でも「人体の不思議展」は開催され問題視されている。
2013年、不透明だった遺体の出所を明確にするため、ジャーナリストのイーサン・ガットマンが同氏グンター・フォン・ハーゲンスに対し、標本のDNAサンプルの提出するよう申し立てた。
主催者側は死体は白人と主張しているが、展示中の数人の女性標本の足や体格は異常に華奢で頭は小さいため、中国人である可能性をガットマン氏は指摘した。
1999年、ハーゲンス博士は中国遼寧省大連に渡り、人体加工工場をつくった。ニューヨーク・タイムズの取材に答えた博士は、中国を選んだ理由について、本人や家族の同意はいらない新鮮な人体が大量に手に入り、医療技術を持つスタッフの人件費も安いためだという。また、現地政府の支持も得られ、供給された死体の加工処理の法的責任を問われる懸念はない。
ハーゲンスは1999年から中国遼寧省大連市に建設した死体加工工場で死体標本を量産し、世界各地の展示会に供給していた。当時の江沢民政権で、大連市長だった薄熙来氏はこの「死体ビジネス」を支持し、巨万の富を得ていたと伝えられている。

プラスティネーション技術にビジネス勝機を見てか、中国現地では模造品の作成が始まった。かつてハーゲンス博士の助手を務めた大連医科大学教授・隋鴻錦氏は2002年、博士の許可なく同技術を盗用し、大連で新たな人体加工工場企業・大連鴻峰社を設立。米国企業で世界的に展示企画を行うプレミア・エキシビジョン社と隋氏はパートナー契約を結び、「人体の不思議展」、「新・人体の不思議展」、「人体の世界(ボディ・ワールド)」などへの人体標本を大量に貸し出したり、売却したりした。
新華社傘下の雑誌『瞭望東方週刊』は2003年、「中国は世界最大の人体標本の輸出国になった」と報じた。
死体はいまだに身元が分かっていないが、同年から始まった迫害政策により不当に投獄された法輪功学習者である可能性をドイツ大手紙などが報じている。
2004年、ドイツ紙シュピーゲルは「ハーゲンス氏の死体加工工場の周りには少なくとも3つの刑務所や強制収容所が存在していた。なかでも悪名高い姚家留置所では政治犯や法輪功学習者が拘留されていた」と報じた。
その2年後、ハーゲンス氏は米ニューヨークタイムズのインタビューに対して「引き取り手のない中国人の死体を用いることは全く問題ないと(隋鴻錦氏から)聞いている」と答えている。当時、同氏の研修を受けていた大連医科大学解剖医の隋鴻錦氏は2002年に独立し、中国で死体工場を作り標本を世界中で開かれる展示会へ供給し続けた。
アムネスティなどの国際人権団体の調べでは、何十万人もの法輪功修練者が巨大な中国「人体バンク」である刑務所や強制労働収容所に閉じ込められていると伝えている。
大紀元は、元共産党幹部で失脚した薄熙来と妻の谷開来が、刑務所の受刑者を人体標本展のために売買していたと報じている。薄が市長を務めていた遼寧省大連市にはプラスティネーションの特許を持つグンター・フォン・ハーゲンス氏とともに設立した死体加工工場があった。薄と谷にはそれぞれ横領と殺人の罪で懲役刑が下っている。
Body Worldsをめぐる海外の議論
標本を法輪功学習者、囚人、特定の民族・宗教集団と結びつける主張が過去に報じられている。しかし、個々の標本の身元を裏づける検証可能な資料は、公開資料の範囲では確認できない。こうした主張は、報道・論争当事者の見解として出典とともに紹介する場合でも、事実として断定しない。旧記事の推測表現は撤回し、標本ごとの来歴確認ができないという限界を記す。
関連記事・参考資料
次に読む
Body Worldsをめぐっては、標本の同意、展示の演出、科学教育と娯楽の境界について国際的な議論が続いてきた。創設者グンター・フォン・ハーゲンスは2026年7月に死去したとAP通信が報じている。現在の展示運営や倫理審査は、創設者個人の説明だけでなく、運営団体の最新資料で確認する必要がある。AP通信:https://apnews.com/article/bb870217b426e61e351e60e6726c885e
【参考資料】
・末永恵子「『人体の不思議展』の倫理的問題点について」『生命倫理』19巻1号(2009年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jabedit/19/1/19_KJ00006490169/_article/-char/ja
・国立科学博物館「人体の世界」展(1995年)
https://www.kahaku.go.jp/special/past/human/human.html
・Body Worlds「倫理審査に関する説明」(運営側の説明)
https://bodyworlds.com/press/ethics-review/
・Associated Press, “Gunther von Hagens, the German anatomist behind the ‘Body Worlds’ exhibition, dies at 81” (2026)
https://apnews.com/article/bb870217b426e61e351e60e6726c885e
・末永恵子『死体は見世物か』
【次に読む】
フリークショーの歴史:https://www.subculture.at/freak-show/
映画『フリークス』:https://www.subculture.at/freaks
ジョニー・エック:https://www.subculture.at/johnny-eck
グンター・フォン・ハーゲンス:https://www.subculture.at/gunther-von-hagens
ヴァニタスと解剖学的美術:https://www.subculture.at/vanitas-dioramas
シリアルキラーとは:https://www.subculture.at/serial-killer
シリアルキラー一覧:https://www.subculture.at/list-of-serial-killers/