筒井作品は以前に「虚人たち」をご紹介しましたが、筒井康隆はそれ以外にも強烈な
実験小説を沢山書いております。ここではそんな筒井康隆の実験小説の中から是非一
度は読んでおいて欲しい「朝のガスパール」「虚航船団」の2つをご紹介したいと思
います。
朝のガスパール
筒井康隆の実験小説の中でも特に強烈なのがこの「朝のガスパール」です。朝日新
聞に1991年から翌年まで連載された新聞連載小説で、この小説は読者からのハ
ガキによる投書と、パソコン通信上での書き込み内容にしたがって物語の内容が大
きく変化していくという「読者参加型小説」という特徴を持っています。朝日新聞
読者はどちらかというとSF嫌いの年配の人が多いようで、そちらの人たちはSF的で
はない「普通」の新聞連載小説的な物語を求める傾向が強いのに対し、パソコン通
信をしている人達は昔からの筒井ファンが多く、こちらは逆に筒井康隆らしいSF的
展開を求める傾向が強いという、まさに両極端な読者を相手にしての「読者参加型
小説」となりました。物語がSF方向に揺れると、新聞の読者からは「SFは嫌い」「
新聞の購読をやめる」「つまらない」という投書が届き、それならとSFから離れる
と今度はネット上で散々罵倒されるという状況の中、「朝のガスパール」は進んで
いきます。ストーリーは5つの階層に分かれていて、これは巻末の解説が分かりや
すいのでそのまま引用すると
●1、現実の筒井康隆と読者たち物語世界外の存在
●2、この小説を書いている第二の自己としての筒井康隆
●3、筒井康隆の第三の自己である櫟沢たちがいる世界
●4、櫟沢が書く貴野原たちの世界
●5、貴野原がやっているゲーム「まぼろしの遊撃隊」の世界
ちょっとこれだけでは分かりにくいかもしれませんが、1と2はとりあえず無視し
てしまって差し支えありません。まず4の貴野原征三という比較的裕福な会社役員
と彼の妻・聡子をとりまく物語がメインに置かれ、その下に貴野原が熱中するコン
ピューターゲーム「まぼろしの遊撃隊」というゲーム内での物語が存在(階層5)
し、さらに貴野原征三の上位に貴野原たちの物語を書いている作家櫟沢と彼の担当
澱口が存在(階層3)するという設定になっております。そして1にいる私達現実
世界の読者が出した手紙は作家である3の櫟沢たちの元に届き、その内容に従って
4、5のストーリーが変化していきます。ストーリーは、「まぼろしの遊撃隊」「
貴野原征三の日常」「貴野原の物語を書く作家櫟沢」の3つのパートが順番に繰返
され、その中で投書のハガキの内容がストーリーに影響を与えていくというのはす
でに述べましたが、例えば作家櫟沢のパートになると、それまでのストーリーは中
断され、現実世界で「朝のガスパール」を読んでいる様々な読者から届いたハガキ
が取り上げられ、その内容が櫟沢達によって批評されます。例えばこんな具合に。
「この前、櫟沢さんが『小説を享受して消費するだけというのは読者として手抜き
だ』と言ったことに対して、猛烈に怒っている人がいますね。兵庫県養父郡の行政
書士で高階良幸さん。『何たる不届きな発言か。読者は料金を払っておる。アンタ
は原稿料とりながら趣味のサークルでもやってるつもりか。これまで期待を持って
読んできたが、これからはアラ探しに徹する』」「まあまあアラ探しをやると言っ
てるんだから、いいじゃないか。それだって参加だものな。」「それからこれは国
立市の杉岡育子さんですが、小説が突然『読者投稿の感想会になってしまったのは
なぜでしょう。何の前置きもなく小説が中断されて、とても不愉快です』と書いて
おられます」「感想会ではなく、これも小説の一部なんだということ、なかなかわ
からない人もいるだろうね。これはいわば作者による論評の一形式なんだ」これち
なみに、本当に全て実名の実際に寄せられた投書なのですが、このように小説を読
んだ人からの投書が、その小説内部で取り上げられてしまいます。(また、これが
本当にただのおたより紹介コーナーでなく、何重もの入れ子構造になった小説のあ
る大きな仕掛けの一部であるということは、読み進めるうちに分かって来ます。)
……てな感じで、序盤はまだ比較的こんなまったり具合なのですが、回が進むごと
にとくにパソコン通信を介して参加している作品に批判的な読者の書き込み内容が
段々と過激さを増し、それに伴い櫟沢の反応も激しいものになってゆきます。
「駄目だ。この連載は失敗だ」「おい。つまらないぞ。いい加減やめろ。そんな出
がらしのお茶みたいなことは。本当に面白いものを書くつもりはあるのか」「やめ
やめ。あー、情けない」「面白くないものは面白くないんだよ。主観だよ。主観。
何が悪い」「ファンをやめた。いいファンをなくしたねえ」「ごますって連載成功
するのかね。おめえが読んでりゃ成功か。ばあか。」「おい。阿呆。今度からSF大
会に来るときは、てめーのブスの女房と、マヌケの餓鬼は置いてくるこっちゃな」
これらも基本全て実名入りで小説内で取り上げられ、櫟沢と澱口によって批評され
ていくわけですが、批判の内容がまるで現在のネット掲示板での罵倒合戦のように
激烈になるにしたがって櫟沢の反応もヒートアップ。ついには新聞連載であるにも
関わらず、櫟沢による批判的な読者への罵倒が延々と続くという事態に陥ります。
特に連載第百三十五回、百三十六回、百三十七回は最高に面白く、連載スペースほ
ぼ全てが読者への罵倒で埋められております(こんな新聞連載小説、前代未聞です
よね)。
「面白くないのは手前の読み飛ばしのせいだ。わかったかこの鈍感ナマズめ。そん
な覗き屋みたいな読みかたで小説の面白さが理解できるとは夢思うなよ、このとろ
り目の玉濁らせた腐れ常識の、ぶよぶよの、ぶちゅぶちゅの、潰せば青い汁が出る
だけの娯楽肥満の湿気虫め。幼児の片言さえ発言権持つこの世の中で甘え奢り、理
解できぬことを自分の頭の悪さには絶対に還元しない肛門愛リビドーのひなた虫め
が」「ほほう。そうかそうか。『ほのぼのと、喜びのある小説』が読みたいのか。
『朝刊らしいさわやか、すっきりの小説』が読みたいのか。厭あな感じにならない
もの、苦あい味わいのないもの、面白いだけのもの、読者を不愉快にさせないもの
本当のことを言えば何も残らぬものがいいのか。左様でござんすとも。朝がたの中
年紳士とのふんわりさわやかあなさわやかあなセックスみたいな快感美のある小説
がよろしざます。鏡を見ろこの糞袋。全身にたっぷりマスコミ常識浸み込ませた汝
ら読者ならば、これほど醜い作品が新聞に載るなどとは夢にも思わなかっただろう
このしかばね色のトテチテタ。おおそうかそうか。作家に罵倒されてそんなに心外か。
そんなに悔しいか。さぞ悔しかろうな。悔しいからと言うてどうさらす。思い知っ
たかこの脳天つん裂く横肥りの血管蟻め。名乗りもできずに遠くから指つきつけて きゃうんきゃうんと吠えるだけの淫水かぶれの水虫犬めらが」
…と思わず長々と引用してしまいましたが、こんな具合で「読者罵倒」が行われた
り、物語が書かれた後に読者からの要求にしたがって物語が書き直されたり、また
は一部の荒らし的な読者達により物語の進行に壊滅的なダメージを与えるようなス
トーリー展開が選び取られてしまったりと、まさにやりたい放題の凄まじい物語が
筒井康隆と読者たちの意見によって形成されてゆきます。(一応念の為に言ってお
くと、この「読者罵倒」というのも文学的な意図を持った実験的な試みのひとつで
あって、本気で作者が読者に対して怒ってるわけではないし、それどころかこのよ
うな読者からの批判等も筒井康隆には全て想定の範囲内で、むしろ筒井康隆自身が
そのような展開になるように上手く舵取りをしているというのが実際の所であると
僕は思いますが。)よく「朝のガスパール」は「2chみたいな小説」と言われま
すが、以上の説明でその意味もなんとなく分かっていただけたんじゃないかなと思
います。とにかく他に類を見ない様々な実験が詰め込まれた「朝のガスパール」で
すが「虚人たち」など他の筒井康隆の実験作との最大の違いは、非常に尖った実験
作であるにも関わらず、かなり「読みやすい」ということです。ですのでむしろ筒
井康隆初心者の方にオススメです。
「虚航船団」
「筒井康隆と言えば虚航船団」というくらい有名な筒井康隆の代表的な実験小説で
す。とりあえず小説の「あらすじ」には
>鼬族の惑星クォールの刑紀999年6月3日、国籍不明の2基の核弾頭ミサイル
>によって国際都市ククモが攻撃され…無数の小型単座戦闘艇に乗ったオオカマキ
>リを従えた文房具の殺戮部隊が天空から飛来した…
…と、このあらすじだけではぶっ飛びすぎて何が何やら全く意味不明ですが、実際
の作品内容はそれを遥かに超えてぶっ飛んでおります。小説は大きく、第一章:文
房具、第二章:鼬族十種、第三章:神話の三章構成になっており、第一章では宇宙
船に乗った文房具達の宇宙船内での日常が描かれ、第二章は惑星クォールにすむ鼬
族の歴史が語られ、第三章では惑星クォールの占領を命じられた文房具達と鼬族と
の戦いが描かれます。先ほどから普通に「文房具達の日常」とか「文房具達の戦い
が」とか言ってますが、この小説では人間ではなく、文房具達が主要登場人物とし
て登場します。第一章冒頭「まずコンパスが登場する。彼は気がくるっていた」と
いう書き出しから始まり、他「鋏」「ホチキス」「赤インク」「赤鉛筆」「三角定 規」「下敷き」「消しゴム」「封筒」「ナンバリング」「輪ゴム」「糊」「日付ス
タンプ」「安全ピン」…などなど登場する文房具達全員が例外なく何らかの意味で
狂っています。例えば何か「出来事」が起こるたびに数字をカウントし、数字のカ
ウントと、ゾロ目の達成だけが人生の目的となってしまっているナンバリングは何
か重大な出来事が起ころうとも、それをいかにカウントするかという問題だけに心
を奪われ、彼が登場すると
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などと延々カウントだけが続いたりします。彼ら狂った文房具達は人間のように振
る舞うので読んでいると時々文房具であることを忘れてしまいますが、一方ではち
ゃんと「針の付け根」「透明のセルロイドでできていた」など文房具としての特徴
を持ち、しかし同時に人間と同じく顔も手も足も持ち、人間のように会話し歩行し
食べたり飲んだりもできるので、彼らの外見を脳内で想像することが容易にはでき
ないような仕掛けになっております。登場人物コンパスは「コンパス」という文字
でしかイメージできません。ここが映像化不能といわれる所以であります。第三章
ではそんな狂った文房具達と、第二章で登場した鼬達との戦いが描かれますが、こ
こでも大変に面白い小説上の実験が行われております。第三章の主要登場人物であ
る文房具達それぞれの物語がバラバラの細切れの断片にされて、人物も時間も全部
無視した形で物語がモザイク状に再構成されます。例えば「もも太郎」を例に取る
と、いきなりもも太郎が鬼を倒すシーンから始まり、キジを仲間にしたと思ったら
おじいさんが山へ芝刈りへ行き、鬼が島に到着した後にもも太郎が生まれ、もも太
郎と鬼が戦い、最後におばあさんが川を流れてくるももを発見するといった感じと
言えば分かりやすいでしょうか。第三章では、総勢30人以上もいる文房具それぞ
れの物語がバラバラにされそれが時間を無視して再構成され、しかもあるエピソー
ドから別のエピソードに移行する際に、「ここまではコンパスの物語でしたが、次
はホチキスの物語です」のような解説は一切ありませんし、改章も改行もなく、そ
れどころか「。」や「、」すら存在せず、コンパスのセリフだと思って読んでいる
と、そのセリフがいつのまにか5年後のホチキスのセリフにクルっと変わっていて
何時の間にかコンパスのエピソードからホチキスのエピソードに移行しているとい
う具合に各エピソードが切れ目なく連続的に語られていきます。このクルクルと変
わっていく登場人物と時間の感覚が非常に面白く新鮮に感じます。とはいえ、この
手法も筒井康隆が発明した手法というわけでは無く、彼が当時はまってたバルガス
=リョサなど南米文学の影響があるようです。全体的に分厚く読むのはかなり難儀
する作品ではありますが一度は読んでおいて損は無い小説です。ちなみに僕は初め
てまともに読んだ筒井康隆作品がこの「虚航船団」で以来一発で筒井康隆のファン
になってしまいました。