カフカ「ある戦いの描写」です。
この小説は角川文庫「変身」にオマケとして収録されている80ページ程度の中篇小説
なのですが、その内容は「変身」以上にヘンテコで不思議な小説となっております。僕
がカフカの小説の中で個人的に好きなのは「城」「審判」そして「ある戦いの描写」の
3作品なのですが、「城」「審判」は以前にご紹介したので、今回は「ある戦いの描写」
をご紹介してみたいと思います。この作品本当にヘンテコな作品で巻末の「解説」でも
「『ある戦いの描写』については、あまり余計な解説など加えないで、まず読者諸君に
読んでもらうことにしよう」などと、半分解説を放棄されているような難物で、ためし
に「ある戦いの描写」で書評を検索してみても、「『ある戦いの描写』に関しては、ま
ったくもって理解不能でした」「ある戦いの描写については、もう本当に意味が分から
なかった。読んでいてなんとなく、妄想とか心の内の話なのかな?と思ったくらいで。
『私』と『知り合い』はごっちゃになるし、『肥大漢』って何だって感じだし」「同時
収録『ある戦いの描写』これはもう、わからん。何がどうわからないのかもわからない。
登場人物は何人なのか、場面はずっと同じなのか変わっているのかもよくわからない」
「同時収録の、カフカ21歳の作品『ある戦いの描写』がなんか難解です。正直あんま
りわかりませんでした。ブログで感想を検索しても『わかんなかった』って感想ばっか
りです。誰かわかれよちくしょう」…と「わけわからん」って感想しかない状態のよう
です。ただ分からないと言っても、書かれている出来事自体は別に特に難解ではありま
せん。では何がそんなに「分からない」かと言うと、先の話と後の話、先の場面と後の
場面に何の繋がりがあるのか?どう繋がるのか?結局作品全体として何が言いたいのか?
などなどそういう意味での「難解さ」です。これは要はテクストの整合性が取れてない
と言うか、テクストが激しく混乱しているのが原因なのですが、それもそのはず、カフ
カの作品の多くはカフカが死んだ後にマックスブロートがカフカの「自分の作品は全て
捨ててくれ」という遺言をあえて破って、出版されたものが殆どで、多くはただノート
に殴り書きにされていたタイトルすら良く分からない膨大な作品の中からマックスブロ
ートが自分なりにまとめたものが現代に残っているというわけなので、だから例えば
「審判」を読むと分かりますが、章立てが変な部分があったり、物語のどの部分に入る
のか不明な断片などが沢山あったりします。「ある戦いの描写」自体はカフカ21歳の
時の作品ですが、この作品についても同じような事情があったらしく、どうやら別々の
時期に書かれた別々の作品が変な感じで混じり合っているようなのです。(そのため作
品の一部が独立した別の作品として他の短編集などに収録されていたりします)。そん
なわけなので、この「ある戦いの描写」が「わけわからん」のもある意味当然とも言え
るのですがだからこそ「ある戦いの描写」にはシュルレアリスムの手法「デペイズマン」
的な面白さがあるのではないかなと思います。池上嘉彦「記号論への招待」にはこんな
一文があります。「文学作品などで、ある一節全体が特別な意味合いを持たされている、
ということがよくある。読者の立場から言うと『文字通りの意味は分かるのだが、全体
で何を言おうとしているのかよくつかめない』というような印象を与える場合がそれに
当たる。究極的には例えば一篇の詩の作品全体がそれを構成する『語』の意味の集計以
上の意味を帯びるという形でイディオム化することもありうるわけである。『テクスト』
全体が一つの『記号』のような働きをするようになるということである」
「ある戦いの描写」が「意味不明」なのも、これと同じくもともと無関係(?)なテク
スト同士が奇形的に結合してしまったことで全体として何やら正体の分からない、魔術
的で不可思議な人類未体験の新しい意味が生まれてしまっているのが原因かもしれませ
ん。そして恐らくその意味は、全く新しい意味であるが故に、既存の言葉や意味で簡単
に置き換え、捉えることが出来るようなものではないので、通常の方法で作品を解釈す
ることがなかなかできません。よくあるように、「この作品はXXXを表している」とか
「作品のテーマはXXXである」とか「XXXのメタファーである」などという、難解な記号
を他の分かりやすい既存の記号で置き換えて、とりあえず納得してみるという普通のこ
とができなくなっているので「ある戦いの描写」を何度読んでみても作品を噛み砕いて
消化して、スッキリした気持ちになることができません。それどころか、何回読んでみ
ても上手く消化できず、頭の中には未消化の異物感がいつまでも残るのを我慢しなけれ
ばなりません。以上「ある戦いの描写」が「わけわからん」と言われる理由について僕
なりに考えてみましたが、本当のこと言えば、そんな理由なんかどうでも良いことです
ね。とにかく読んでみれば分かりますが、「ある戦いの描写」は非常に愉快な小説です。
ここでは以下「ある戦いの描写」がどれくらい愉快であるかを、具体的にご紹介してい
きたいと思います。この物語、ストーリーはとても単純で、ある冬の夜会からの帰り
「私」と、その夜会で出会った見知らぬ「彼」との二人で連れ立って「ラウレンチベル
ク(山の名前)」へ向かうというものです。「私」と「彼」は歩きながら先ほどまで参
加していた夜会のこと、恋人のこと、その他様々な会話を交わします。二人で会話をし
ながら歩いているうちに「私」は突然あることを思いつきます。
「もしかすると、私の背が高いのが彼には不愉快なのじゃあるまいか」
何故そう思ったのかは全くもって不明ですが、とにかくそう思った「私」は「彼」と真
面目な話をしながら、彼に気付かれないように歩きながら両手が膝に触れるくらいまで
体を折り曲げてゆきます。その異常な「私」の様子に気付いた「彼」が
彼「これは、いったい、どうしたんですかね。あなたは何をやってるんですか」
私「あなたはなかなか鋭い目をもっていらっしゃる!」
彼「さあさ、まっすぐに立ちなさい。なんというばかげたまねです!」
私「いや、いや。…やっぱりこのかっこうのままでいることにしましょう」
彼「あなたは人を怒らせたいのですね。まったく無用の妨害だ!もうよしたまえよ!」
私「あんたも、よくぽんぽんどなりたい人だな!」
彼「じゃ、お好きなようになさるがいいでしょう…おや、もう12時45分だな」
(いまこそ、彼の本心が分かった。やつは私をじゃま者扱いしているのだ)
私「わざわざ、あなたに知らせてもらう必要はありませんよ」
彼「いや、私は12時45分だって、ただそれだけ言っただけなんですよ」
私「さあ、どうか、あなたがおっしゃったことを取り消してくれませんかね」
彼「12時45分と言ったことをですか。よろこんで取り消しますよ」
(すると、彼は右腕を持ち上げて手先をぴくぴく動かし、カフスの小さい鎖をカスタネッ
トのように鳴らして、自分でそれに耳を澄ました。いま明らかに殺人行為が行われようと
している。彼は前からポケットの中で握り締めていた短刀をいきなり上着をかすめてふり
かざし、私を目がけて立ち向かってくるだろう…)
…分かりやすいようにかなり省略もしてありますが、これは一体何なんでしょうか?全体
的に支離滅裂に見える僕が悪いのでしょうか。それともこれはギャグの類なのでしょうか。
コンテクストが読み取れないので、僕らにできることと言えば、この異常なやり取りを呆
然と見守る以外にありません。伝えるところによると、カフカはこの「ある戦いの描写」
の朗読会で、クスクス笑いながら朗読をしていたとのこと。この作品だけが残された現在
僕達はこの作品に対してどういった姿勢で取り組めば良いのか、それすら分からないとい
う大変に困難な状況に置かれていることも「難解」と言われる原因なのかもしれませんが
このやり取りだけでも非常に愉快であると思いませんか?この後も「私」が突然、浮遊し
夜空を泳ぐように飛び回り始めるというあり得ない出来事が起こるのですが、「彼」の方
は何一つ驚く様子も無く、「私」が飛んでいるという異常事態を無視したまま、ごく普通
に会話を続けたりと、理解できない出来事は続きます。物語が進むにつれてこの傾向はま
すます強くなり、中盤からは殆ど全てが夢の中の話のような非現実性を帯びてきます。
物語中盤に僕がこの物語で一番好きなシーンが登場します。「私」がある大きな河岸に辿
り着くと、向こう岸に裸の男達の姿が見えます。河は灰色の石ころばかりの殺風景な河で
はなく、辺り一面草原が広がり、向こう岸には果樹の並木が広がり、さらにもっと奥の緑
の丘に繋がるという、天国の小川のようなイメージです。裸の男達は裸とはいえ褌くらい
はつけていたでしょう。僕のイメージではこれは赤い褌で、草原の緑と、褌の赤の対比が
美しいなと思うのですが、これはまあ僕の個人的な妄想です。そしてその裸の男達は4人
で木製の輿を担いでおり、その輿の上にはぶよぶよの脂肪の塊のような肥大漢が座ってい
ます。「彼の肥満した肉体は輿の上いっぱいに場所を占めて、さらに輿のわきへはみだし
てたれていた」というくらいですから、ただの肥った男ではなくもう本当に人間の形も分
からないほどぶよぶよに肥満した男を想像してみると一層面白いと思います。その肥大漢
を担いだ男達は河を向こう岸からこちら岸へ渡って来ようとするのですが、肥大漢の重さ
と河の深さで思うように河の中を進むことができず、4人の男達は溺れ肥大漢は輿ごと下
流へ流されてしまいます。絵にすればそのままシュルレアリスムの絵画になりそうな奇怪
なイメージで、僕が「ある戦いの描写」の中で最もお気に入りのイメージです。この後、
物語の主体はこの流される肥大漢に移り、流されながら肥大漢が語る「語り」がほぼラス
トまで延々と続き、「私」の物語は中断してどこかへいってしまいます。肥大漢の語りの
中では、今度は肥大漢の友人である「祈祷者」なる者が延々と語り始め、またもや「肥大
漢」の物語を押しやるので、読んでいくうちに段々と頭が混乱してきます。「あれ?今長
々と語っているのは『祈祷者』だけど、そもそも彼は『肥大漢』によって語られている人
物で、肥大漢は今流されている途中で流されながら『私』に語りかけているんだっけ!?」
…ってな具合に。この辺りは筒井康隆「夢の木坂分岐点」を彷彿とさせますが、実際筒井
康隆もカフカを読んでいて、特に「城」「審判」はベスト10に挙げているほどなので、
もしかしたら「ある戦いの描写」も読んでいて「夢の木坂分岐点」の発想の断片くらいに
はなっているのかもしれません。
…以上、という具合に「ある戦いの描写」は非常にヘンテコな小説ですが巻末の解説にも
ある通り「若いカフカの沸騰するような、奔放きわまる想像力にひきまわされ」る不思議
な感覚を味わえる小説です。是非一度は読んで頂きたい小説ですが、この「ある戦いの描
写」が収録されているのは角川文庫「変身」の方で、新潮文庫「変身」の方には収録され
ていないのでご注意くださいませ。