衝撃的なラストシーンが本当に凄い映画です。

ラストシーンで「やられた!」とか「そうだったのか!」と思わせる

どんでん返し系の映画は「ユージュアルサスペクツ」をはじめ

古いのだと「カリガリ博士」とか、僕が好きなので言えば「メメント」とか

最近人気あったのは「SAW」とか色々ありますが、「マグノリア」は衝撃的なラストと

言っても所謂「どんでん返し系」ではありません。

このラスト何と表現したらいいのか簡単には言葉にできない感じなのですが

マジックリアリズム的と言ったらいいのかな?

なんとも不思議な感じで僕はカフカ「ある戦いの描写」を読んだ時の

なんとも言えない不思議で異様な感じに近いものを「マグノリア」からも受けました。

「マグノリア」ではそのジャンルでは本来ありえないような展開(演出)が

ラストに起こります。

ネタバレになるのでラストは言いませんが、ラストシーンで意味も無く(?)

涙がポロポロ出てきたのはこの映画くらいなんじゃないかなと思います。

ネットで検索するとすぐにラストのネタバレが出てくるので見るなら検索せず

借りて予備知識なしに見て欲しいわけなのです。

というわけで、ネタバレ無しでラストシーンについて言いたいことを。

ラストシーンはネット等を見ると「どういう意味?」「何でああなったの?」と

よく質問されていたり、宗教的な意味とかアノものの持つ隠喩とか色々語られて

おりますが個人的には別に意味を解釈しなくてもいいんじゃないかなーと思うわけです。

この映画に限りませんが例えば小説や映画などで「意味不明」なシーンがあります。

すると意味不明なので頭にもやもやしたまま消化できずに残ってしまい

なんかずーっと「何アレ?」「どういう意味?」と嫌な気分が続きます。

「消化できない」ということは、他の何か「分かりやすい形」に翻訳できない

ということで、「言語化不能」というか、他の「意味」に頭の中で変換できないというか、

要するに、そのモノが、そのモノのまま、形を変えずに頭の中でそのまま残るわけです。

この消化できない翻訳不能感というか、言語化不能感。

これが気持ち悪いものの正体なんじゃないかなと思います。

すると、その気持ち悪いのは嫌なので「意味」を考えはじめます。

例えば「アレはこういう意味だよ」とか「アレはソレの隠喩だよ」と

意味不明なシーンを他の言語やモノで表すことで消化し、とりあえず人は落ち着く。

それはそれでいいのですが、そうやって消化してしまうと、そのものが本来持つ

インパクトはかなり減ってしまうんじゃないかなと思うのです。

映像ならその映像という形でしか存在できない本来翻訳不能、言語化不能の

「意味不明」なものを、言語化して「アレはソレの隠喩」とやってしまうと

一応の納得を得ることができるので、「消化」はできて人は安心するのですが

そうすると、その「意味不明」な対象を卑小化してしまうことになるのです。

…というのは筒井さんが「着想の技術」の中で言ってたことなわけですが(汗。

でも卑小化してしまうのは個人的にとてももったいないことだなぁと思うわけです。

「意味不明」なものを、「意味不明」なモノのまま、消化しないでそのまま

受け入れることは人間にとって、とても苦しく嫌なことですが

脳内で卑小化してインパクトの無い形に変換してしまうよりは

そのままインパクトのある状態のまま、新鮮素材のまま、「意味不明」のまま

翻訳せずに受け取った方が面白いんじゃないかなーと思います。

つまり何が言いたいのかと言うと「マグノリア」のラストをアレコレ解釈するのは

それはそれで意味のあることですが、それよりもあの「意味不明」なシーンを

そのまま翻訳せずに受け取った方が絶対に楽しめるんじゃないかなと思います。

というわけで兎に角「マグノリア」ラストが良いので是非見てみてくださいませ。