2026.09.18 / 記録と制作
空芯菜、町史、美術の回路

画像内の文章
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空芯菜が強すぎる。伸びた分だけ、仕事も増える!
行政が書かない町史を考える。きれいごとだけでは、町史にならない。
美術館の「文脈」と「回路」。
野菜も、町の記録も、美術の評価も、放っておけば伸びるものと、消えるものがある。
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空芯菜が強すぎる。今年の夏は、雨が降らない時期が長く続き、多くの野菜が弱っていった。それでも空芯菜は、ほとんど平然としていた。茎を切って収穫しても、しばらくすると新しい芽が伸び、再び畑を覆い始める。その生命力は頼もしいが、毎日のように採れるため、食卓もまた空芯菜に占領されていく。炒め物、おひたし、汁物。調理法を変えても、目の前に現れるのは空芯菜である。
野菜が育たなければ困る。しかし、育ちすぎても少し困る。農業とは、足りないものを嘆くだけではなく、多すぎるものの処理にも追われる仕事である。
行政が書かない町史を考える
午後からは、周防大島町が誕生して以降の歴史を、独自にまとめられないかと考えた。
自治体が編さんする町史には、地域の成り立ちや文化、産業、人物などが記録される。しかし行政が主体となって作る以上、どうしても「町が残したい歴史」が中心になる。記念事業や施設の完成、観光振興、受賞歴などは詳しく書かれても、人口減少、地域経済の縮小、公共施設の維持費、事業の失敗、裁判や不祥事などは、小さく扱われるか、記録から抜け落ちやすい。
だが、町の本当の姿は、成功した事業だけでは分からない。人口がどのように減り、商店や事業所がどれほど失われ、病院や公共施設にいくら投入されてきたのか。合併時に掲げられた計画のうち、何が実現し、何が消えたのか。議会では何が議論され、住民からどのような異論が出たのか。そうした数字と記録を並べてこそ、町がどこから来て、どこへ向かっているのかが見えてくる。
もちろん、事件や不祥事を扱う場合には注意が必要である。公文書、議会会議録、判決、決算資料、信頼できる報道などをもとに、確認できる事実と筆者の意見を分けなければならない。噂を町史にしてはいけない。しかし、都合の悪い事実を省いたものもまた、十分な町史とはいえない。
きれいごとだけでは、町の歴史にならないのである。
美術館が作る「文脈」と「回路」
夜は、森美術館と森アーツセンターギャラリーの違いについて考えた。同じ六本木ヒルズにあり、名称も似ているため、ひとまとめに見られやすい。しかし、両者の役割は同じではない。
森美術館は、展覧会や調査研究を通じて、作家や作品を現代美術史のなかへ位置づける場所である。そこでは、ある作品がなぜ現代美術として評価されるのか、社会や歴史とどのようにつながるのかという「文脈」が作られる。
一方、森アーツセンターギャラリーでは、漫画、アニメ、建築、ファッション、著名人など、現代美術の専門的な枠を越えた企画も展開される。美術史上の評価を確定するというより、幅広い文化と大勢の観客を展示空間へ接続する「回路」としての性格が強い。
現代美術の側から見れば、森美術館は文脈を作る場所であり、森アーツセンターギャラリーは、その外側にある人気文化を美術館的な空間へつなぐ回路である。同じ建物のなかに、この二つの機能が並んでいることが、六本木ヒルズの文化施設としての特徴なのだろう。
空芯菜は、放っておいても伸びていく。一方、町の記録は、誰かが集めなければ消えていく。美術の評価もまた、作品が存在するだけで自然に決まるものではなく、美術館や展覧会によって文脈が作られる。
野菜も、町の歴史も、美術の評価も、ただそこに存在しているだけではない。放っておけば伸びるものがあり、放っておけば消えるものがある。その違いを見分け、必要なものを手入れし、記録することも、畑仕事と同じなのかもしれない。
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